自己紹介

自己紹介

はじめに

本日はボクのプロフィールを紹介します。

ボクは、現在(2018年12月時点)フリーランスエンジニアをメインでやっていて、その傍らブログやSNSでプログラミング情報を発信したり、FX・株・仮想通貨投資をしてます。

もともと4年間サラリーマンをやっていたのですが、その頃よりも時間・お金が増え、やりたいことをやることでストレスも半減しました。

今は少しづつですが、なりたい自分に近づいているのですが、ここまでの道のりは失敗ばかりでした。。。

今日はそんなボクのプロフィールについて詳しく紹介します。

少し長いので、暇でボクがどんなやつか気になる方は見ていただければと思います。

人生なんて楽勝だと思ってた青春時代

ボクは京都で生まれたのですが、物心がついた小学生から山口へ引っ越しました。

ボクの家は父親が亭主関白でリモコンの主導権を常に握られていて、TVは父親がファンだった阪神の試合ばかり見ていました。
その影響もあり、新庄に憧れて野球を始めました。

休みの日はボクが住んでいた場所は自然が多かったので、野球部の友達と山や海、川で遊んでました。

また、勉強の方は父親からテストで3回100点とったら1000円というこずかい制度があり、家で必死に勉強したので、小学校の勉強は楽勝でした。

そんな感じで小学校の頃は、スポーツも勉強もできたので、女の子にもモテモテでした笑”

そして、中学生になっても野球は引き続き続けました。
ただ、ボクの中学はやんちゃな奴が多く、そいつらと絡むうちに勉強は全くしなくなりました。。。

父親とは毎晩喧嘩するようになり、母親には家に帰らなかったりすることもあり、かなり心配をかけました。

それでも、小学校の貯金で遊んでも勉強はできていたので、周りからは天才とちやほやされて完全に天狗になってました。

月日が経って、中学3年になって進路を決める時期になったのですが、市内の進学高を目指すことにしました。
理由としては、市内ではその学校に行ってるというだけである種のステータスと社会的名声を得られる風潮があったので、何となくいいなーと思ったのが理由です。

そして、受験が無事終わり結果発表。
見事名前があり、志望校に合格しました。

そんな大した成功をしたわけではないですが、遊びまくってるのに自分の理想の高校に合格し、「人生なんて大した努力しなくても自分の思った通りになる」という大きな勘違いをしてしまうことになります。

人生初めての挫折

高校時代は野球やるかどうか迷ったのですが、夏の大会でベスト8からテレビに映るという不純な理由で野球を続けました。

こんな不純な理由で始めた高校野球ですが、結果的にテレビに映ることはできなかったけど、今では本当にやってよかったなーと思ってます。

みんなと一つの目標に向かって頑張ることの楽しさやつらいことほど後からいい思い出になることを体感することができました。

そして、野球が終わってから進路を決める時期になったのですが、進路は学歴コンプレックスがあった父親からの洗脳もあり、いい大学に行っていい会社に入ることが幸せなのだと思い込んでたのと、このくそ田舎から出たいという思いがあり、今から勉強しても間に合いそうな受験教科の少ない関西の私立大学を目指すことにしました。

ただ、野球終わってから今まであんまり遊べなかった分を埋めるかのように彼女と遊びまくりました。

彼女は心配しましたが、なんとかなるだろと思い、ひたすら遊びました。

そして、その結果、滑り止めも含め大学全落ちしました。
今まで順調な人生を送ってただけにかなりこたえました。
実家にも帰りずらかったので、ばーちゃんの家にひきこもってて卒業式にも出た記憶がないです。

気晴らしに彼女と遊んでも彼女ともうまくいかず振られ、気晴らしに友達と遊んでも一人暮らしする部屋の話とかサークルの話とかで全然話についていけず、
余計に落ち込みました。

ただ、マイナスにマイナスされるとむしろプラスになって、こいつら絶対見返してやるという思いが湧き、浪人して神戸大学を目指すことにしました。

リベンジそして失敗

浪人してからは必死に勉強しました。
人生振り返ってもこの時期が一番つらかったかもしれません。

勉強しかできない環境だし、家では肩身がせまいし、世間的には高校生でも大学生でもないニートだし、仮にサボって遊んでも勉強しなきゃという気持ちがつっかえてリフレッシュできないし最悪でした。

ただ、悪いことばかりではなく、予備校にはおもしろい先生がたくさんいて、物事に対する考え方とか視野が広がりました。

特に、関正生という先生がいて、「日本の丸暗記の英語教育を変える」という夢のもと実際に行動に移し、本を出版したりしていて、夢を追う大人ってかっこいいなーと肌で感じ、自分もそうなりたいと思うようになりました。

そして、月日が流れセンター試験。

結果は志望校の神戸大学にほど遠い点数でした。

今回は努力したのにダメだったので、現役時代以上に落ち込みました。
両親にもこれまで何を勉強してたのかと怒られました。

勉強してたのにそのように言われ、悔しくて国立の勉強から私立の勉強に切り替え、必死に勉強しました。

その結果、立命館大学に受かり、なんとか大学生になることができました。

この頃から人は結果しか評価してくれないと悟り、プロセスよりも結果を意識するようになりました。
また、自分は頭良くない、ただの凡人なんだから、効率的で効果の高いやり方と量で非凡な奴に勝つんだと思うようになりました。

初めてのビジネス

大学生1回生の頃は今までの我慢を解き放つかのごとく、ひたすら遊びまくりました。
飲みサーに入ったり、友達の家で毎晩酒飲んで騒いだり、バイトして金貯めて海外旅行行ったりしました。

ただ、大学生2回生の頃に家でふと予備校時代の恩師のブログを見ると、相変わらず夢に向かって走り続けていて、浪人時代あんなにつらい思いしたのに、何やってんだろと目を冷ますことができました。

それから何をしようか考えだしたのですが、やりたいことは特になかったのですが、買いたい物買って、行きたいとこに行って、親孝行もしたいという思いから、お金を稼ぐということに注力することにしました。

それからビジネス書を読み漁ったのですが、どのビジネス書もお金を稼ぐには起業しろみたいな内容が書いていて、なんでもいいから起業してみようかなーと思い、自分でビジネスを始めることにしました。

そして、個人事業主で家庭教師やったり、転売やったり、アフィリエイトやったり、情報商材作ってみたり、いろいろ個人でやってみました。

ただ、どれも長続きせず、うまくいきませんでした。

そんな中、自分がいる滋賀で会社を起ち上げようとしている人達に出会いました。

事業内容は保険・不動産・通信の取次ぎやイベント事業、スクール事業などありきたりな内容で魅力的ではなかったのですが、自分と同じような志の人達がいて面白そうだったので、共同出資で起業することになりました。

実際に起業してみたのですが、オフィスの物件選んだり、事業内容についてあーでもないこーでもないと夜遅くまで話し合ったり、営業取れたりしたらみんなで盛り上がったり、ときにはBBQして遊んだりと最高に楽しかったです。

ただ、継続的に利益をあげるのは難しいのと何人かのビジネスパートナーが抜けてしまい、結果的に倒産することになりました。。。

アジアへバックパッカーとしてひとり旅

倒産するまで働きづめだったので、気分転換に上海に遊びに行くことにしました。

1週間ぐらいで、帰るつもりだったのですが、ゲストハウスで会った日本人のバックパッカーの人と出会い、ボクもバックパッカーとしてアジアを一人旅することにしました。

陸路で中国→ベトナム→ラオス→ベトナム→カンボジアといろいろ回りました。

そして、ベトナムで日本の美容用品をベトナムに輸出するための商流を開拓しているという総合商社に務めえている人に出会いました。

これまで、サラリーマン=おもしろくない仕事というレッテルを勝手に自分で貼ってたのですが、その人はすごく楽しそうに仕事しててやってる仕事の規模もでかいし、給料もよさそうだし、自分もそういう仕事をしてみたいと思うようになりました。

それから、特にやることもないし、帰国したら就活することにしました。

苦労した就活

そして、帰国して就活しようと思い、就活について調べたら絶望しました。
総合商社の募集はすでに終わってたのです。このとき大学4回生の秋でした。

諦めたくなかったボクは半期留年し、就活することにしました。

何気にTOEICも840あり、ビジネスもやってたし面接までいけば大丈夫だろと思い、まずは面接まで辿りつけるようテストセンターの対策をしました。

テストセンターは問題が使い回しされるため、テストセンターやってる企業にひたすらエントリーし、テストセンターを受けては問題と答えを暗記するという作業を繰り返しました。

全部で20社ぐらいのテストセンターを受けました。

そのかいあって、総合商社7社のうち6社面接・グループディスカッションに進めました。

ただ、面接やグループディスカッションでことごとく落とされました。
自分を否定された感じでかなりショックでしたし、何より自分のやりたいことができないというのがショックでした。

それからは、もともと総合商社落ちたら受けようと考えていたIT業界を受けました。

IT業界を受けようと思った理由は、技術力さえあれば食いっぱぐれないし、将来的に地元に帰ってもPC1台で稼げるという理由で受けました。

そして、最終的にいろんな人を巻き込んでプロジェクトを推進するというコンサル的側面とものづくりできるという技術的側面をもつSIer業界に興味を持ち、内定をいただくことができました。

初の海外での仕事

就活が終わり、半期留年させていた大学も無事前期で卒業でき時間があったので、バックパッカーをしているときにあこがれた海外での仕事をしてみることにしました。

とは言ってもただのワーホリですが、、、

ワーホリに行く場所ですが、オーストラリアに行くことにしました。

しかし、もうこのときは貯金が底をついていたので、東京へ出稼ぎしに行き、シェアハウスや友達の家に住み込んだりし、なんとか2ヶ月で20万円貯めることができました。

しかし、飛行機のチケットをとったら、残り14万円になり、さらにはワーホリ行く前に友人と豪遊してしまい、残り10万円になってしまいました。

かなり不安でしたが、10万円握りしめ、オーストラリアへ行きました。

ただ、不安とは裏腹に仕事も家もすぐに決まりました。
英語はそんなにできるわけではなかったのですが、なんとかなりました。

ワーホリしてみた感想ですが、日本にいるときは毎日何かに追われている感じだったのですが、海外で生活してみると不思議と何かに追われている感覚がなくなり、いかに毎日を楽しむかを考え、行動するようになったのでかなり楽しかったです。

日本でやるとつまらないような仕事も外国人とやるとすべてが新しくて楽しかったです。
また、どこでも生活していけるという変な自信がつきました笑”

エンジニアデビュー

そして、SIer業界で4年間働くことになるのですが、この4年間で自分のやりたいこととやりたくないことがだいぶ明確になってきました。
ざっくり書くと、こんな感じです↓

<やりたいこと>
・プロダクトを作成し、世の中にどんどん発信していきたい。
・技術力を高めたい。
・自分がやりたい案件をやりたい。

<やりたくないこと>
・満員電車に乗ること
・顧客との調整
・パートナーの進捗やタスク管理
・上司の顔色をうかがうこと

そして、いろいろ調べた結果、自分にとってやりたくないことを排除し、やりたいことをできるのはフリーランスエンジニアだと気づき、フリーランスエンジニアになることを決意しました。

フリーランスエンジニアデビュー

フリーランスエンジニアになるとはいえ、ほとんどソースコードレビューしかしたことなかったので、業務をやっていけるのか不安でしたし、そもそも仕事あるのか不安でした。

ただ、実際に求人をみてみると思ってた以上に仕事ありました。
面談したのですが、これもまた意外にすぐに決まりました。

そんな感じで無事フリーランスエンジニアとしてデビューすることができました。

そして、実際にフリーランスとして業務をやってみた感想ですが、最初の2週間慣れるまではきつかったのですが、慣れれば楽勝でした。

それから何個か案件を変え、現在はWEB系の案件をやらしていただき、自分のやりたいことができるようになりました。

ブログデビューしたきっかけ

ブログデビューしたきっかけですが、現場で学んだ知識をアウトプットし、定着させることで次の現場でも生かしたいなーと思ったからです。

また、自分の体験談や技術を共有することでフリーランスエンジニアを目指している方やフリーランスエンジニアになりたての方の後押しをしたいと思いました。(自分がそういうのしてほしかったんで、、、)

なので、このブログではそういった方に向けて、自分の体験談や技術をどんどん共有していきます。

こんなボクですが、引き続きよろしくお願いします。